冷泉 為純(れいぜい ためずみ、享禄3年2月8日(1530年3月17日) - 天正6年4月1日(1578年5月7日))は、戦国から安土桃山時代にかけての公卿、武将。歌人。本姓は藤原氏。家系は冷泉家の1つの下冷泉家。子に冷泉為勝、藤原惺窩、冷泉為将。官位は従三位参議まで昇った。長らく播磨国細川庄(現在の兵庫県三木市)に下向して領主化していた事から便宜上細川 為純(ほそかわ ためずみ)といわれることもあるが、室町幕府管領の細川氏との関係はない。年貢確保のため山城国を離れ、家祖の冷泉為相以来相伝の所領播磨細川庄に下向していた。
冷泉 為純(れいぜい ためずみ、享禄3年2月8日(1530年3月17日) - 天正6年4月1日(1578年5月7日))は、戦国から安土桃山時代にかけての公卿、武将。歌人。本姓は藤原氏。家系は冷泉家の1つの下冷泉家。子に冷泉為勝、藤原惺窩、冷泉為将。官位は従三位参議まで昇った。長らく播磨国細川庄(現在の兵庫県三木市)に下向して領主化していた事から便宜上細川 為純(ほそかわ ためずみ......