冷泉 為守(れいぜい ためもり、文永2年(1265年) - 嘉暦3年11月8日(1328年12月9日))は、鎌倉時代後期の公家・歌人。藤原為家の子。母は阿仏尼。法名は暁月房(ぎょうげつぼう)。官位は正五位下侍従に昇るが、40歳頃に出家して鎌倉など東国に住んだ。連歌に優れ、北条貞時や夢窓疎石などとも親交があった。伝説によれば狂歌を初めて詠んだ人物とされ、「狂歌の祖」ともされている。ためもりCategory:鎌倉時代の公家Category:鎌倉時代の歌人Category:1265年生Category:1328年没
冷泉 為守(れいぜい ためもり、文永2年(1265年) - 嘉暦3年11月8日(1328年12月9日))は、鎌倉時代後期の公家・歌人。藤原為家の子。母は阿仏尼。法名は暁月房(ぎょうげつぼう)。官位は正五位下侍従に昇るが、40歳頃に出家して鎌倉など東国に住んだ。連歌に優れ、北条貞時や夢窓疎石などとも親交があった。伝説によれば狂歌を初めて詠んだ人物とされ、「狂歌の祖」ともされている。......