内藤 正国(ないとう まさくに)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。信濃岩村田藩の第5代藩主。岩村田藩内藤家6代。天保の改革を行なった老中・水野忠邦の叔父である。安永2年(1773年)、肥前唐津藩の第2代藩主・水野忠鼎の四男として生まれる。はじめ水野忠令(ただのり)と名乗った。のち、岩村田藩の第4代藩主・内藤正興の婿養子となって内藤正国と名乗り、寛政4年(1792年)10月17日に正興が死去した後、家督を継いだ。享和2年(1802年)12月28日に死去した。享年30。男子がなかったため、甥で養嗣子の正縄に跡を継がせた。*05Category:水野氏まさ......
内藤 正国(ないとう まさくに)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。信濃岩村田藩の第5代藩主。岩村田藩内藤家6代。天保の改革を行なった老中・水野忠邦の叔父である。安永2年(1773年)、肥前唐津藩の第2代藩主・水野忠鼎の四男として生まれる。はじめ水野忠令(ただのり)と名乗った。のち、岩村田藩の第4代藩主・内藤正興の婿養子となって内藤正国と名乗り、寛政4年(1792年)10月1......