元斌(げん ひん、? - 551年)は、中国の東魏の皇族。字は善集。北魏の献文帝の曾孫。高陽王元雍の孫。元泰の子として生まれた。528年、祖父と父が河陰で殺害されると、元斌は幼少で高陽王の位を継いだ。侍中・尚書左僕射の位を歴任した。美貌で知られ、性格は穏健で寛容であり、高澄に重用された。北斉が建てられると、爵位を降格されて、高陽県公となり、右光禄大夫に任じられた。551年、文宣帝に従って契丹を攻撃し、帰還する途中に白狼河にいたって、罪に問われて死を賜った。
元斌(げん ひん、? - 551年)は、中国の東魏の皇族。字は善集。北魏の献文帝の曾孫。高陽王元雍の孫。元泰の子として生まれた。528年、祖父と父が河陰で殺害されると、元斌は幼少で高陽王の位を継いだ。侍中・尚書左僕射の位を歴任した。美貌で知られ、性格は穏健で寛容であり、高澄に重用された。北斉が建てられると、爵位を降格されて、高陽県公となり、右光禄大夫に任じられた。551年、文宣帝......