倉地百汲(くらち ひゃっきゅう)は、越後の俳諧の指導者・宗匠。19世紀の人。旗本・牧野氏6000石の用人。倉地家は、信濃小諸藩主(城主)牧野氏の用人・倉地氏の庶流であったが、越後三根山に陣屋を持っていた6000石の旗本・牧野氏家臣団において、山本氏・神戸氏と並ぶ家禄・百石級の門閥の家柄であった。倉地氏は、牧野氏が戦国時代に三河国宝飯郡(現、豊川市)の牛久保城主であった頃から仕えた古参の出自を持っていた。倉地百汲は、25歳で家老であった父から家督を相続して、越後三根山に陣屋を持つ旗本・牧野氏では家老に次ぐ、重臣である用人となった。しかし、世を儚んで30歳で隠......
倉地百汲(くらち ひゃっきゅう)は、越後の俳諧の指導者・宗匠。19世紀の人。旗本・牧野氏6000石の用人。倉地家は、信濃小諸藩主(城主)牧野氏の用人・倉地氏の庶流であったが、越後三根山に陣屋を持っていた6000石の旗本・牧野氏家臣団において、山本氏・神戸氏と並ぶ家禄・百石級の門閥の家柄であった。倉地氏は、牧野氏が戦国時代に三河国宝飯郡(現、豊川市)の牛久保城主であった頃から仕えた......