保土原 行藤(ほどわら ゆきふじ、又は、ほどわら ぎょうとう、天文7年(1538年) - 元和6年1月7日(1620年2月10日))は、戦国時代の武将。二階堂氏、後に伊達氏の家臣。行有の嫡男で、重行の父。入道して江南斎と号した。保土原氏は二階堂氏の庶流で、岩瀬郡保土原に住してこれを名字としたという。1589年、伊達政宗の須賀川攻めに際して、政宗に内応し、須賀川城攻めの先陣を務めた。矢田野義正の篭る大里城攻めにも参加した。和歌に優れ、政宗に和歌を詠んで贈ったほか、茶道にも嗜みの深い風雅数寄の人物で、政宗と書状のやり取りを盛んに行うなど政宗にその才能を敬われた......
保土原 行藤(ほどわら ゆきふじ、又は、ほどわら ぎょうとう、天文7年(1538年) - 元和6年1月7日(1620年2月10日))は、戦国時代の武将。二階堂氏、後に伊達氏の家臣。行有の嫡男で、重行の父。入道して江南斎と号した。保土原氏は二階堂氏の庶流で、岩瀬郡保土原に住してこれを名字としたという。1589年、伊達政宗の須賀川攻めに際して、政宗に内応し、須賀川城攻めの先陣を務めた......