佐竹 義根(さたけ よしね、元禄2年閏1月3日(1689年1689年2月22日) - 明和4年閏9月20日(1767年11月11日))は江戸時代中期の仙台藩の天文家、神道家である(仙台藩天文方)。始め長倉義海と名乗る。九吉と称し、春山、秋水、尾斎と号した。佐竹行義の子義綱の末裔で、長倉一平義敬の子として磐井郡に生まれた。父は佐々木志頭磨の門人であり、義根も書に長けていた。遠藤盛俊に天文暦道を学び、渋川敬也(入間川重恒)の死に伴い天文方渋川家の秘伝書を預かる。渋川敬也の著した『春海先生実記』を校正し、元文4年(1739年)に書状とともに土御門泰邦へ送り直弟と......
佐竹 義根(さたけ よしね、元禄2年閏1月3日(1689年1689年2月22日) - 明和4年閏9月20日(1767年11月11日))は江戸時代中期の仙台藩の天文家、神道家である(仙台藩天文方)。始め長倉義海と名乗る。九吉と称し、春山、秋水、尾斎と号した。佐竹行義の子義綱の末裔で、長倉一平義敬の子として磐井郡に生まれた。父は佐々木志頭磨の門人であり、義根も書に長けていた。遠藤盛俊......