伊東 祐堯(いとう すけたか)は、室町時代の武将。日向伊東氏6代(伊東氏11代)当主。伊東祐立の子とされるが、一説には祐立には祐武という子が別におり、祐武の子が祐堯とも言われる。文安元年(1444年)、伊東祐立の死去により36歳で家督を継ぐ(『日向記』によると、祐立の家督を継ぐ筈であった祐家を、家督簒奪を目論んだ祐郡が殺害、この不義を家臣が認めず、祐郡を追放し祐堯を擁立したとある)。反抗的な一族の討伐に乗り出し、まず宮崎城の曽井氏を攻め滅ぼした。翌文安2年(1445年)以降も土持氏の同意を得て門川、穆佐、清武など各地の城主を次々と破り、傘下に収めていく。日......
伊東 祐堯(いとう すけたか)は、室町時代の武将。日向伊東氏6代(伊東氏11代)当主。伊東祐立の子とされるが、一説には祐立には祐武という子が別におり、祐武の子が祐堯とも言われる。文安元年(1444年)、伊東祐立の死去により36歳で家督を継ぐ(『日向記』によると、祐立の家督を継ぐ筈であった祐家を、家督簒奪を目論んだ祐郡が殺害、この不義を家臣が認めず、祐郡を追放し祐堯を擁立したとある......