今井 貞則(いまい さだのり、生没年不詳)は江戸時代前期の肥前唐津藩士、後に薩摩藩士。通称は仲兵衛。父は今井貞旧。祖は尾張国寺沢氏の庶流で、父の貞旧は唐津藩主となった一族の寺沢広高に家老として3,000石で仕え、またその姉婿であったと『本藩人物誌』にはある。しかし、或るとき貞旧が広高に諫言したところ勘気を被り、貞旧は切腹を申し付けられ(牢人になったとも)、貞則も牢人となった。薩摩藩主の島津家久はそれを聞き及び、寛永6年(1629年)貞則を薩摩国へ呼び寄せ300石で召し抱えた。その際に貞則は、既に薩摩藩に奉公していた今井兼練(今井道与の養子、仁礼頼景の次男)......
今井 貞則(いまい さだのり、生没年不詳)は江戸時代前期の肥前唐津藩士、後に薩摩藩士。通称は仲兵衛。父は今井貞旧。祖は尾張国寺沢氏の庶流で、父の貞旧は唐津藩主となった一族の寺沢広高に家老として3,000石で仕え、またその姉婿であったと『本藩人物誌』にはある。しかし、或るとき貞旧が広高に諫言したところ勘気を被り、貞旧は切腹を申し付けられ(牢人になったとも)、貞則も牢人となった。薩摩......