京都新城(きょうとしんじょう)は、太閤豊臣秀吉が2代関白豊臣秀次の聚楽第を破却した後に、皇室に仕える豊臣関白家の正式な邸宅として京都御所南東に構えた城郭風邸宅である。京都新城の称は、現代になっての呼び方で、当時の文書には「太閤御屋敷」、「太閤御所」、「太閤上京屋敷」などと記されており、かつての「聚楽(第)」のような名はなかったと考えられる。
京都新城(きょうとしんじょう)は、太閤豊臣秀吉が2代関白豊臣秀次の聚楽第を破却した後に、皇室に仕える豊臣関白家の正式な邸宅として京都御所南東に構えた城郭風邸宅である。京都新城の称は、現代になっての呼び方で、当時の文書には「太閤御屋敷」、「太閤御所」、「太閤上京屋敷」などと記されており、かつての「聚楽(第)」のような名はなかったと考えられる。