井上 道節因碩(いのうえ どうせついんせき、1646年(正保3年) - 1719年(享保4年)12月7日)は、江戸時代の囲碁棋士で、家元井上家の四世井上因碩、五世名人碁所。元の名は桑原道節で、井上道節因碩、名人因碩と呼ぶ。難解さで古今唯一とされる『囲碁発陽論』の著者。本因坊道策の弟子であったが、道策流の理論的な布石よりは力戦的な碁であったとされる。(井上家相続時は三世であったが、後の家系書き換えに基づき四世とする)
井上 道節因碩(いのうえ どうせついんせき、1646年(正保3年) - 1719年(享保4年)12月7日)は、江戸時代の囲碁棋士で、家元井上家の四世井上因碩、五世名人碁所。元の名は桑原道節で、井上道節因碩、名人因碩と呼ぶ。難解さで古今唯一とされる『囲碁発陽論』の著者。本因坊道策の弟子であったが、道策流の理論的な布石よりは力戦的な碁であったとされる。(井上家相続時は三世であったが、......