井上 角五郎(いのうえ かくごろう、万延元年10月18日(1860年11月30日) - 昭和13年(1938年)9月23日)は、日本の実業家、政治家。東京府平民。壬午事変後に朝鮮政府の顧問となり、朝鮮初の近代新聞「漢城旬報」を発刊。また初めて漢文・ハングル混合文体を実用化した「漢城周報」を創刊、国民工業学院理事長、慶應義塾評議員等を歴任し、大正9年(1920年)緑綬褒章下賜。京釜鉄道、南満州鉄道の設立にも関わった。号は閔妃の実甥・閔泳翊から贈られた琢園。
井上 角五郎(いのうえ かくごろう、万延元年10月18日(1860年11月30日) - 昭和13年(1938年)9月23日)は、日本の実業家、政治家。東京府平民。壬午事変後に朝鮮政府の顧問となり、朝鮮初の近代新聞「漢城旬報」を発刊。また初めて漢文・ハングル混合文体を実用化した「漢城周報」を創刊、国民工業学院理事長、慶應義塾評議員等を歴任し、大正9年(1920年)緑綬褒章下賜。京釜......