井上節山因碩(いのうえ せつざんいんせき、文政3年(1820年) - 安政3年(1856年))は、江戸時代の囲碁棋士で、家元井上家の十二世井上因碩、六段。隠居後の号である節山を付けて、井上家代々と区別する。井上幻庵因碩門下。本因坊丈和の長男で、幼名は戸谷梅太郎、後に水谷琢順の養子となって水谷順策、次いで井上家跡目となって井上秀徹を名乗る。
井上節山因碩(いのうえ せつざんいんせき、文政3年(1820年) - 安政3年(1856年))は、江戸時代の囲碁棋士で、家元井上家の十二世井上因碩、六段。隠居後の号である節山を付けて、井上家代々と区別する。井上幻庵因碩門下。本因坊丈和の長男で、幼名は戸谷梅太郎、後に水谷琢順の養子となって水谷順策、次いで井上家跡目となって井上秀徹を名乗る。