二条 良実(にじょう よしざね、建保4年(1216年) - 文永7年11月29日 (旧暦)|11月29日(1271年1月11日))は、鎌倉時代中期の公卿。通称は福光園関白(ふっこうえん かんぱく)。極位極官は従一位関白左大臣。摂政関白左大臣九条道家の次男、母は太政大臣西園寺公経の女。兄に摂政関白左大臣九条教実、弟に征夷大将軍|四代鎌倉将軍藤原頼経、摂政関白左大臣一条実経、子に左大臣二条道良、大納言|権大納言二条教良、関白左大臣二条師忠、非参議二条経通、摂政左大臣二条兼基がいる。
二条 良実(にじょう よしざね、建保4年(1216年) - 文永7年11月29日 (旧暦)|11月29日(1271年1月11日))は、鎌倉時代中期の公卿。通称は福光園関白(ふっこうえん かんぱく)。極位極官は従一位関白左大臣。摂政関白左大臣九条道家の次男、母は太政大臣西園寺公経の女。兄に摂政関白左大臣九条教実、弟に征夷大将軍|四代鎌倉将軍藤原頼経、摂政関白左大臣一条実経、子に左大......