丹羽 氏清(にわ うじきよ、文明17年(1485年) - 永禄2年12月21日(1560年1月18日))は、戦国時代の武将。丹羽氏興の子。尾張国本郷城3代目城主にして、同国岩崎城初代城主。若狭守。子は丹羽氏識。初めは尾張国本郷城に住んでいたが、天文年間に尾張国、三河国双方の要害の地である岩崎の地に城を築き、移り住んだとされる。しかし、それより前の享禄2年(1529年)、三河国岡崎城主・松平清康と、織田信秀の属将・荒川頼宗との間で享禄(岩崎)の戦いが岩崎城にて起こっていることが判明している。永禄2年(1559年)、75歳で死去。法名は妙仙寺殿椿岩道壽庵主。墓......
丹羽 氏清(にわ うじきよ、文明17年(1485年) - 永禄2年12月21日(1560年1月18日))は、戦国時代の武将。丹羽氏興の子。尾張国本郷城3代目城主にして、同国岩崎城初代城主。若狭守。子は丹羽氏識。初めは尾張国本郷城に住んでいたが、天文年間に尾張国、三河国双方の要害の地である岩崎の地に城を築き、移り住んだとされる。しかし、それより前の享禄2年(1529年)、三河国岡崎......