下曾根浄喜(しもそね じょうき、生没年不詳)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣で、御一門衆。通称は源六郎、受領名は出羽守、号は岳雲軒浄喜。実名は不詳だが、諱を信恒とする所伝がある。下曾根氏は武田氏庶流で、甲斐守護武田信重の子賢信を祖とする武田氏庶流の一族。『甲陽軍鑑』に拠れば浄喜は足軽大将衆として同心衆30騎・足軽50人持で、永禄2年(1559年)に譜代家老春日虎綱の後任として信濃小諸城代となったという。浄喜は武田氏からの書状で名字を省略されており、武田姓使用を許可された一門待遇を受けていたと考えられている。『甲乱記』に拠れば、天正10年(1582年)の......
下曾根浄喜(しもそね じょうき、生没年不詳)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣で、御一門衆。通称は源六郎、受領名は出羽守、号は岳雲軒浄喜。実名は不詳だが、諱を信恒とする所伝がある。下曾根氏は武田氏庶流で、甲斐守護武田信重の子賢信を祖とする武田氏庶流の一族。『甲陽軍鑑』に拠れば浄喜は足軽大将衆として同心衆30騎・足軽50人持で、永禄2年(1559年)に譜代家老春日虎綱の後任として......