上杉 朝定(うえすぎ ともさだ)は、南北朝時代の武将。二橋上杉家(八条上杉家、扇谷上杉家の前身)の当主。元亨元年(1321年)、上杉重顕の子として生まれる。父の重顕は早世したらしく、その家督を幼くして継いだが、叔母にあたる上杉清子に保護されて彼女が生んだ足利尊氏・直義兄弟に仕えた(後に朝定が上杉氏の菩提寺である丹波国光福寺に所領を寄進した際に清子が関与した形跡がみられ、後の室町幕府要職の抜擢も彼女の影響があった可能性がある)。建武4年(1337年)に17歳の若さで丹後守護・引付頭人に任ぜられる。康永3年(1344年)には尊氏・直義兄弟の姪である女性(異母兄......
上杉 朝定(うえすぎ ともさだ)は、南北朝時代の武将。二橋上杉家(八条上杉家、扇谷上杉家の前身)の当主。元亨元年(1321年)、上杉重顕の子として生まれる。父の重顕は早世したらしく、その家督を幼くして継いだが、叔母にあたる上杉清子に保護されて彼女が生んだ足利尊氏・直義兄弟に仕えた(後に朝定が上杉氏の菩提寺である丹波国光福寺に所領を寄進した際に清子が関与した形跡がみられ、後の室町幕......