上原 熊次郎(うえばら くまじろう)は、江戸時代後期のアイヌ語通詞。松前の生まれとされるが、生没年は不詳。名は有次。東蝦夷地の請負場所で活動していたが、1807年(文化4年)に蝦夷地が幕府の直轄領となると、松前奉行所で働くようになった。ゴローニン事件に際してはヴァーシリー・ゴローニンからロシア語を学び、通訳を務めた。
上原 熊次郎(うえばら くまじろう)は、江戸時代後期のアイヌ語通詞。松前の生まれとされるが、生没年は不詳。名は有次。東蝦夷地の請負場所で活動していたが、1807年(文化4年)に蝦夷地が幕府の直轄領となると、松前奉行所で働くようになった。ゴローニン事件に際してはヴァーシリー・ゴローニンからロシア語を学び、通訳を務めた。