三浦浄心(みうら じょうしん、永禄8年(1565年) - 正保元年3月12日(1644年4月18日))は江戸時代初期の随筆家。通称は五郎左衛門尉、諱は茂正、戯号は三五庵木算。相模三浦氏一族出身で、後北条氏に仕え小田原征伐等で戦った後、故郷三浦郡に落ち延びた。その後、江戸に出て出家し、自らの見聞等を仮名草子『慶長見聞集』『北条五代記』等に書き残した。
三浦浄心(みうら じょうしん、永禄8年(1565年) - 正保元年3月12日(1644年4月18日))は江戸時代初期の随筆家。通称は五郎左衛門尉、諱は茂正、戯号は三五庵木算。相模三浦氏一族出身で、後北条氏に仕え小田原征伐等で戦った後、故郷三浦郡に落ち延びた。その後、江戸に出て出家し、自らの見聞等を仮名草子『慶長見聞集』『北条五代記』等に書き残した。