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ルートヴィヒ3世

推定知名度0.06%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ルートヴィヒ3世(ドイツ語|独:Ludwig III., 835年 - 882年1月20日)は、東フランク王国(カロリング朝)の国王(ザクセン王(在位:876年 - 882年)、バイエルンの君主一覧|バイエルン王(在位:880年 - 882年))。ルートヴィヒ2世 (東フランク王)|ルートヴィヒ2世(ドイツ人王)とシュッセンガウ伯ヴェルフの娘エンマ(古ヴェルフ家)の次男。若王(der Jüngere)といわれる。ザクセン公リウドルフ (ザクセン公)|リウドルフの娘リウトガルトと結婚した。876年8月に父ルートヴィヒ2世が死去、兄カールマン (東フランク王)|カールマンおよび弟カール3世 (フランク王)|カール3世とともに父の遺領を分割し、ルートヴィヒはフランケン地方|フランケン、チューリンゲン、ザクセンを継承した。同年9月西フランク王国|西フランク王シャルル2世 (西フランク王)|シャルル2世は帝国の統一をもくろみ、アーヘンを急襲、ケルンを拠点にルートヴィヒの領地へと兵を進めたが。また879年の西フランク王ルイ2世 (西フランク王)|ルイ2世の死後起こった継承争いに介入し、880年のリブモント条約によって西ロタリンギア|ロレーヌの獲得に成功した。さらに、880年に兄カールマンが嫡出子なく死去したためバイエルンをも獲得し、広大な王国を形成した。しかし、879年頃よりノルマン人の侵略を受け、880年エノー州|エノーのティメオン近郊では勝利をおさめたものの、当時ルートヴィヒは病床にあり、コブレンツやトリーアなどが略奪を受け、ノルマン人との戦いにおいて義兄弟ザクセン公ブルン (ザクセン公)|ブルン他多くの家臣らが戦死した。882年、ルートヴィヒは男子後継者なく死去、東フランク王国は弟カール3世により再び統一された。

過去の推移