画像引用元: upload.wikimedia.orgルイーゼ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
ルイーゼ・ヘンリエッテ・カロリーネ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット(Luise Henriette Karoline von Hessen-Darmstadt, 1761年2月15日 ダルムシュタット - 1829年10月24日 アウエルバッハ、ベンスハイム)は、ドイツのヘッセン=ダルムシュタット方伯領|ヘッセン=ダルムシュタット方伯家の侯女で、ヘッセン大公ルートヴィヒ1世 (ヘッセン大公)|ルートヴィヒ1世の妻。ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世 (ヘッセン=ダルムシュタット方伯)|ルートヴィヒ9世の弟ゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット|ゲオルク・ヴィルヘルムと、ライニンゲン=ダークスブルク=ファルケンブルク伯クリスティアン・カール・ラインハルト (ライニンゲン=ダークスブルク=ファルケンブルク伯)|クリスティアン・カール・ラインハルトの娘でブロイヒ(Herrschaft Broich)の女領主であるマリア・ルイーゼ・アルベルティーネ・ツー・ライニンゲン=ダークスブルク=ファルケンブルク|ルイーゼの間の三女として生まれた。1770年、フランス王ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世に嫁ぐマリー・アントワネットの輿入れに際して、随員に加えられた。これが縁となり、マリー・アントワネット王妃とは1792年まで文通を続けていた。1777年2月19日、従兄の方伯家世子ルートヴィヒと結婚した。夫は1790年に方伯位を継いでルートヴィヒ10世を称したが、1806年にはヘッセン大公国の創設に際して大公ルートヴィヒ1世と名乗った。ルイーゼは学識深く、領民に慕われる親切なお妃として知られ、その宮廷やサロンにはヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテやフリードリヒ・シラーが出入りしていた。ナポレオン・ボナパルトは、美しくかつ当時のヨーロッパで最も才能豊かな女性の1人だった彼女に魅了され、彼女に王妃の地位を与えると約束したと言われる。
