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ヨランド・ド・バル

推定知名度0.01%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ヨランド・ド・バル(Yolande de Bar, 1365年頃 - 1431年7月3日 バルセロナ)は、ロレーヌ地方のバル公領|バル公爵家の公女で、アラゴン王国|アラゴン王フアン1世 (アラゴン王)|フアン1世の2番目の妻。スペイン語名はビオランテ・デ・バル(Violante de Bar)。バル公ロベール1世 (バル公)|ロベール1世と、その妻でフランス王ジャン2世 (フランス王)|ジャン2世の娘であるマリー・ド・フランス (1344-1404)|マリーの間に第8子、次女として生まれた。1380年にアラゴン王ペドロ4世 (アラゴン王)|ペドロ4世の長男ジローナ公フアンと結婚し、1387年に夫の王位継承に伴い王妃となった。ヨランドは病気がちの夫のために頻繁に国務を代行し、またアラゴン宮廷にフランス文化を持ち込むなどした。王妃は特にプロヴァンス地方出身のトルバドゥールの才能を発掘することに熱心だった。1395年に夫と死別した後は、同名の娘ヨランド・ダラゴン|ヨランダの養育に力を注いだ。

過去の推移