マリア・テレジア・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルクの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

マリア・テレジア・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク

推定知名度0.28%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

マリア・テレジア・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク(Maria Theresia Prinzessin zu Löwenstein-Wertheim-Rosenberg, 1870年1月4日 ローマ - 1935年1月17日 ウィーン)は、ドイツの上級貴族レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム家の侯女で、ポルトガル王国|ポルトガル王位請求者ミゲル2世・デ・ブラガンサ|ミゲル2世の2番目の妻。全名はマリア・テレジア・ゾフィー・ピア・アンナ・メルヒオーラ(Maria Theresia Sophie Pia Anna Melchiora Prinzessin zu Löwenstein-Wertheim-Rosenberg)。 レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク侯カール・ハインリヒ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク|カール・ハインリヒと、その妻でリヒテンシュタイン侯アロイス2世の娘であるゾフィーの間の第5子、四女として生まれた。1893年11月8日にクラインホイバッハの実家の居城レーヴェンシュタイン城(Schloss Löwenstein)において、ミゲル2世と結婚した。ミゲル2世の母アーデルハイト・フォン・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク|アーデルハイトはマリア・テレジアの伯母だったため、夫妻は従兄妹同士だった。ミゲル2世は1881年に最初の妻エリーザベト・フォン・トゥルン・ウント・タクシス (1860-1881)|エリーザベトと死別しており、この結婚は再婚であった。エリーザベトが産んだ2人の息子はいずれも貴賤結婚をしたり早世したりしたため、マリア・テレジアの産んだ息子ドゥアルテ・ヌノ・デ・ブラガンサ|ドゥアルテ・ヌノがミゲリスタ派のポルトガル王家の家督を継いだ。1935年にアスペルン飛行場(Flughafen Aspern)で死去し、ウィーンのデープリング地区にあるカルメル会修道院(Karmelitenkloster Döbling)に葬られた。

過去の推移