マリア・インマクラータ・フォン・ネアペル=ジツィリエンの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

マリア・インマクラータ・フォン・ネアペル=ジツィリエン

推定知名度1%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

マリア・インマクラータ・クレメンティーナ・フォン・ネアペル=ズィツィーリエン(ドイツ語|独:Maria Immaculata Clementina von Neapel-Sizilien, 1844年4月14日 ナポリ - 1899年2月18日 ウィーン)は、南イタリアのシチリア・ブルボン朝|ブルボン=シチリア家の王女。イタリア語名はマリーア・インマコラータ・クレメンティーナ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ(Maria Immacolata Clementina di Borbone-Due Sicilie)。トスカーナ大公国|ハプスブルク=トスカーナ家のカルロ・サルヴァトーレ・ダズブルゴ=トスカーナ|カール・ザルヴァトール大公に嫁した。両シチリア王国|両シチリア王フェルディナンド2世 (両シチリア王)|フェルディナンド2世と、その2番目の妻のオーストリア大公女マリーア・テレーザ・ダズブルゴ=テシェン|マリーア・テレジアの間の次女として生まれた。家族からは「ペティッタ(Petitta)」の愛称で呼ばれた。1860年、千人隊の侵略により両シチリア王国が崩壊すると、家族と一緒に教皇ピウス9世 (ローマ教皇)|ピウス9世に保護され、ローマのクイリナーレ宮殿に住んだ。1861年9月19日にローマにおいて、トスカーナ大公レオポルド2世 (トスカーナ大公)|レオポルド2世の次男で、オーストリア帝国の陸軍士官だったカール・ザルヴァトールと結婚した。夫の実家も1859年に支配者の座を失っており、夫妻は双方とも亡命王族の身分だった。翌1862年には、姉のマリア・アンヌンツィアータ・フォン・ネアペル=ジツィリエン|マリア・アンヌンツィアータがオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟カール・ルートヴィヒ・フォン・エスターライヒ|カール・ルートヴィヒ大公と結婚した。マリア・インマクラータは美人として有名で、彼女の写真はフランツ・ヨーゼフ1世の妻で美容狂いの皇后エリーザベト (オーストリア皇后)|エリーザベト・イン・バイエルンの『美人写真帖(Schönheitsalbum)』に収められていた。また、フランツ・ヨーゼフ1世は多産なマリア・インマクラータが子供を出産するたびに真珠のネックレスを贈呈したが、彼女は計10人もの子供をもうけた。このため皇后エリーザベトはカール・ザルヴァトール一家を「真珠採り(Perlenf

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