画像引用元: upload.wikimedia.orgボードゥアン2世
ボードゥアン2世・デュ・ブール(Baudouin II du Bourg, 1060年 - 1131年8月21日)は、第1回十字軍に参加したフランス貴族。2代エデッサ伯国|エデッサ伯(在位:1100年 - 1118年)、のち2代エルサレム王国|エルサレムエルサレム国王一覧|王(在位:1118年 - 1131年)となった。ボードゥアンはルテル伯ユーグ1世とメリザンド・ド・モンレリの子で、初代エデッサ伯でのち初代エルサレム王となったボードゥアン1世 (エルサレム王)|ボードゥアン1世の遠縁にあたる。また、ボードゥアンの後にエデッサ伯を継いだジョスラン1世|ジョスラン1世・ド・クルトネーとは母親同士が姉妹という関係である。エルサレムの初代聖墓守護者ゴドフロワ・ド・ブイヨンが1100年に嗣子なく死去した際に、ゴドフロワの弟でエデッサ伯であったボードゥアン1世がエルサレム王となり、遠縁のボードゥアンがエデッサ伯位を継いだ。エルサレム王となったボードゥアン1世には子供がいなかったため、自らの第一の後継者として兄ブローニュ伯ウスタシュ3世、さらに兄が継承できなかった場合の選択肢としてボードゥアンを指名していたが、1118年4月2日、ボードゥアン1世が死去した数日後にエルサレムにいたボードゥアン2世が在地貴族の支持により王位に就き、一方、フランスにいたウスタシュは弟の死の報を聞きエルサレムに向かったものの、ボードゥアンがエルサレム王位に就いたことを聞き引き返し、こうして、ボードゥアン2世のエルサレム王位は確定した。王となったボードゥアン2世は、ボードゥアン1世時代まで王国の中枢を占めていたロレーヌ出身貴族に代えて、自らと血縁関係のある一族(ルテル家、モンレリ家、クルトネー家)や新参のブリズバール家を厚遇した。1119年6月28日、義弟(妹の夫)でアンティオキア公国の摂政であったサレルノ伯ロジェ(ルッジェーロ)がアルトゥク朝のイル・ガーズィーとの戦いで戦死し、ボードゥアンが若年の公ボエモン2世 (アンティオキア公)|ボエモン2世の摂政をつとめることとなった。ボエモン2世とは娘アリックス(アリス)と結婚させることで連携をさらに強めたが、1130年にボエモンが死去すると、自らの権力維持を狙う娘アリックスと対立した。1123年4月18日、ボードゥアンは北シリアでイル・ガーズィーの甥バラクに捕まりディヤルバクルのカルプー城塞に幽閉され、帰
