画像引用元: blogs.c.yimg.jpフリードリヒ1世
フリードリヒ1世(Friedrich I., 1826年9月9日 - 1907年9月28日)は、バーデン (領邦)|バーデン大公国の第6代大公(在位:1856年 - 1907年)。全名はフリードリヒ・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ(Friedrich Wilhelm Ludwig)。第4代バーデン大公レオポルト (バーデン大公)|レオポルトとその妃でスウェーデンスウェーデン君主一覧|王グスタフ4世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ4世アドルフの王女であるソフィア・ヴィルヘルミナ・アヴ・スヴェーリエ|ゾフィー・ヴィルヘルミーネの次男で、ルートヴィヒ2世 (バーデン大公)|ルートヴィヒ2世の弟。カールスルーエで生まれた。1852年に父レオポルトが死去すると兄のルートヴィヒ2世が大公位を嗣いだが、既に精神を病んでいたためフリードリヒが摂政となった。さらに4年後にはフリードリヒ1世として自ら大公位に即いた。また、同年9月20日にプロイセン王国|プロイセン王太子ヴィルヘルム(後のドイツ帝国|ドイツドイツ皇帝|皇帝ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム1世)の娘ルイーゼ・フォン・プロイセン (1838-1923)|ルイーゼと結婚した。フリードリヒ1世は自由主義的な思想で知られ、民事婚の導入や教育制度の教会からの分離など多くの改革を実施し、1904年には憲法改正を行なった。また経済発展にも努め、マンハイムはドイツ南西部の中心都市として栄えた。文化面では、バーデン大公立芸術学校(現カールスルーエ芸術アカデミー)を設立したことで知られる。1866年の普墺戦争ではオーストリア帝国側についたが敗戦後も大公国の存続を許され、1867年には北ドイツ連邦に加盟した。1871年のヴィルヘルム1世のドイツ皇帝戴冠式には、義理の息子として列席した。1907年9月28日、ボーデン湖のマイナウ島で死去した。長男フリードリヒ2世 (バーデン大公)|フリードリヒ2世が大公位を嗣いだ。
