画像引用元: upload.wikimedia.orgパトリック・ゲデス
パトリック・ゲデス(Patrick Geddes, 1854年10月2日 - 1932年4月17日)はスコットランドのアバディーンシャイア生まれの生物学者、植物学者であり、教育学者でもあった。いわゆるゼネラリストである。ゲデスは実際には学位を取得していなかったが、各方面で優れた業績を残している。目を患って、顕微鏡をのぞく研究等に支障が生じ、転職を決意する。その後エディンバラの保存に関する社会学的業務によって都市計画分野に導かれている。今日の近代都市計画理論において、いちじるしく拡大された意味ですなわち予備的調査の必要性と処置の前段階としての診断を生物学的調査に近い社会学的調査に基づいた都市計画を受け入れること、を確立した。また「都市圏」という観念を地理的にまたぐ機能的に連結した都市一群として定義し、1919年ごろに都市計画用語としてゲデスによって使われ始める。 20世紀初頭、都市計画に地域(リージョン)という概念を導入し、地域調査(リージョナル・サーベイ)運動を展開。そうした成果を博物館に展示し、市民が都市の進化の過程を認識し、エウトピア(よりよき場所の観念、Eu-topia)の実現を探求するように働きかけ、一貫して保存手術(コンサバティブ・サージェリー)による歴史的な都市の改造を提案。その足跡は、スコットランド、アイルランド、フランス、インド、バレスチナ、イスラエル、にまで及んでいる。ゲデスは、その死後も、「環境」に着目する生態的な都市・地域計画に影響を与え続けている。イギリスの都市計画家ウィリアム・ホルフォード卿は、「われわれが頭の中でどこに行こうと、ゲデスが戻ってくるのに会う」と述べている。 ショーツの展望台として知られていたタウンハウスを1892年に購入、エディンバラの「展望塔」という都市の研究所にし、都市計画の研究に従事する。都市計画に関する彼の主著に「Cities in Evolution」(1915年)があるが、この中で、都市調査の理論的基礎を築いた。弟子の一人にルイス・マンフォードらがいる。ゲデスは同じく都市計画の理論方面で活躍したエベネザー・ハワードと共に近代都市計画の祖とよばれる。1911年から1914年にかけては、レーモンド・アンウィンとともにアイルランドで、続いてインド、また1919年から1929年まで、エルサレムの嘆きの壁のための計画や、パレスチナなどで都市計画の仕事にかかわる。アイルラ
