ハインリヒ6世の画像画像引用元: upload.wikimedia.org

ハインリヒ6世

推定知名度1.44%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ハインリヒ6世(Heinrich VI. von Kärnten, 1265年頃 - 1335年4月2日)は、チロル伯、ケルンテン公国|ケルンテン公(在位:1295年 - 1335年)、クライン辺境伯、ボヘミア王国|ボヘミア王(チェコ名インジフ・コルタンスキー、Jindřich Korutanský, 在位:1306年、 1307年 - 1310年)。ゲルツ家のチロル伯兼ケルンテン公マインハルト (ケルンテン公)|マインハルト2世と、バイエルン大公|バイエルン公兼ライン宮中伯オットー2世 (バイエルン公)|オットー2世の娘エリーザベトの四男。アルブレヒト、ルートヴィヒ (ケルンテン公)|ルートヴィヒ、オットー3世 (ケルンテン公)|オットー3世の兄3人が順に死去したため、家督を相続した。姉エリーザベト・フォン・ケルンテン|エリーザベトはハプスブルク家のローマ王|ドイツ王アルブレヒト1世 (神聖ローマ皇帝)|アルブレヒト1世に嫁いでいる。ボヘミアとポーランド王国|ポーランドの王ヴァーツラフ2世の娘アンナ・プシェミスロヴナ|アンナを妻としていたことから、1306年にアンナの兄ヴァーツラフ3世が暗殺されると、ハインリヒはボヘミア王に選出された(名目上のポーランド王位も得ている)。しかし、義兄のアルブレヒト1世は息子のオーストリア公ルドルフ1世 (ボヘミア王)|ルドルフ3世(ハインリヒ6世の甥で、ヴァーツラフ3世の母方の従兄でもある)をヴァーツラフ2世の後妻リクサ・エルジュビェタと結婚させた上でプラハを占領し、ボヘミア王即位を宣言した(ボヘミア王としてはルドルフ1世)。ボヘミア諸侯にはハインリヒ6世を支持する者もおり、ルドルフと争った。ルドルフは翌1307年に戦病死したため、ハインリヒは王位を回復するが、1310年に今度は妃アンナの妹エリシュカ・プシェミスロヴナ|エリシュカ(エルジュビェタ)と結婚したルクセンブルク家のヨハン・フォン・ルクセンブルク|ヨハン(ヤン)がボヘミア王に選ばれ、ハインリヒは廃位されてアンナと共にケルンテンへ逃れた。チロル系ゲルツ家の男系男子はハインリヒで断絶し、娘の「マウルタッシュ」(醜女)ことマルガレーテ・フォン・ティロル|マルガレーテが唯一の相続人となった。遺領をルクセンブルク家、ヴィッテルスバッハ家、ハプスブルク家が争うが、ケルンテンはいち早くハプスブルク家のアルブレヒト2世 (オーストリア

過去の推移