ダウラト・シャー(Dawlat Shāh, ? - 1328年)は、元の泰定帝イェスン・テムルに仕えたムスリム(イスラム教徒)官僚。漢字表記は倒剌沙で、タオラシャと読まれることもある。即位以前のイェスン・テムルが晋王の称号をもってモンゴル高原に駐留し、チンギス・ハーンの祭祀をとりおこなう四大オルドの領していた頃、晋王府内史としてイェスン・テムルの宮廷に仕え、その信任を受けた。息子のハサンは宿衛(ケシク)として大ハーン(モンゴル皇帝、カアン)の宮廷におり、自身は晋王のもとにありながら常に中央の政治の動向をうかがっていた。1323年、英宗シデバラを殺......
ダウラト・シャー(Dawlat Shāh, ? - 1328年)は、元の泰定帝イェスン・テムルに仕えたムスリム(イスラム教徒)官僚。漢字表記は倒剌沙で、タオラシャと読まれることもある。即位以前のイェスン・テムルが晋王の称号をもってモンゴル高原に駐留し、チンギス・ハーンの祭祀をとりおこなう四大オルドの領していた頃、晋王府内史としてイェスン・テムルの宮廷に仕え、その信任を受......