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ジョーン・オブ・イングランド

推定知名度0.93%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ジョーン・オブ・イングランド(Joan of England, 1165年10月 - 1199年9月4日)は、シチリア王国|シチリア王グリエルモ2世の王妃、後にトゥールーズ伯レーモン6世 (トゥールーズ伯)|レーモン6世の妃。イングランド王国|イングランド王ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世と王妃アリエノール・ダキテーヌの三女。イタリア語名はジョヴァンナ・ディンギルテッラ(Giovanna d'Inghilterra)、フランス語名はジャンヌ・ダングルテール(Jeanne d'Angleterre)。アンジューで生まれ、母の宮廷のあるウィンチェスター (イングランド)|ウィンチェスターやポワチエで育つ。1176年、シチリア王グリエルモ2世が大使を派遣し、ジョーンとの結婚を申し出た。婚約は同年5月に整い、8月にはノーリッジ司教、5代サリー伯ハムリン・ド・ウォーレンらに付き添われてシチリアへ出発した。ジョーンの兄2人、若ヘンリーはルーアンからポワチエ、そのあとをリチャード1世 (イングランド王)|リチャードが引き継ぎポワチエからサン=ジルまで妹を護衛した。サン=ジルではシチリア王の代理人であるカプア大司教アルフォンソ、シラクサ司教リチャード・パーマーらと、彼女の随行員が面会した。危険の多い航海ののち、1177年2月に無事シチリアへ到着し、パレルモ大聖堂で結婚式と戴冠式が挙行された。2人の間には1181年に長男ボエモンドが生まれるが夭折し、あとに子は生まれなかった。1189年にグリエルモが亡くなると、ジョーンは新王タンクレーディ (シチリア王)|タンクレーディに捕らえられた。1190年、ジョーンの兄リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世が聖地への途上イタリアへ上陸した。彼はジョーンと彼女の持参金を返すようタンクレーディに要求した。タンクレーディがこれらの要求を渋る様子をみせると、リチャードはバニャラ城の支配権を奪った。彼は一冬をイタリアで過ごし、メッシーナの町を征服した。たまりかねたタンクレーディは、要求を飲みジョーンを解放した。1191年3月、リチャードの婚約者ベレンガリア・オブ・ナヴァール|ベレンガリアを連れて母アリエノール・ダキテーヌがメッシーナへ到着した。アリエノールは、ジョーンにベレンガリアの後見を託すとアンジュー帝国へと帰っていった。リチャードは聖地での結婚を決め、婚約者と妹を連れて

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