シュヴァーベン公国の画像画像引用元: upload.wikimedia.org

シュヴァーベン公国

推定知名度0.21%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

シュヴァーベン公国は中世ドイツ王国における部族大公国の一つであり、それゆえに最も有力な諸侯国の一つであった。シュヴァーベンの名はゲルマン民族の一派であるスエビ族に由来し、その名は、中世盛期の部族大公領が拡張してる時にはしばしばアラマンニに置き換えて使われることもあった。ライン川とドナウ川の隅にいたスエビ族に他の部族達が加ることによって11世紀頃までには、アラマンニ人と呼ばれるようになったが、この頃にシュヴァーベンの語形が普及し始めた。917年にブルカルト2世 によって公国の誕生が宣告された。ブルカルト2世はドイツ王コンラート1世若王と同盟を結んで915年のヴァーフルヴィーブスの戦いにてアラマンニの支配を巡って争っていた敵対者を破った。シュヴァーベンを支配した最も有名な一族がホーエンシュタウフェン家であり、同公国を短い中断期を挟んで1079年から1268年にかけて支配した。ホーエンシュタウフェン時代を通じて殆どの間、同家は神聖ローマ皇帝を兼ねていた。公国は1268年に最後の公であるコンラディンが処刑されるまで存続していた。 神聖ローマ皇帝ルドルフ1世は1273年にシュヴァーベン公の称号を復活せんとして末子のルドルフ2世に授け、そのルドルフ2世は息子のヨーハン・パリツィーダに継承させた。1312年か1313年にヨーハンが後継者を残すことなく没したことで\"復活した\"称号は終焉を迎えることとなった。バーデン辺境伯領自体が12世紀にシュヴァーベン公国から分離している。

過去の推移