ゴドフロワ・ド・ブイヨンの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

ゴドフロワ・ド・ブイヨン

推定知名度1.93%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ゴドフロワ・ド・ブイヨン(, 1060年頃 – 1100年7月18日)は、第1回十字軍の指導者の一人。エルサレムの初代聖墓守護者となる。ロレーヌ公|下ロートリンゲン公(在位:1087年 - 1100年)。ゴドフロワはブローニュ=シュル=メール|ブローニュ伯ウスタシュ2世と妃イド・ド・ブローニュの次男として生まれ、母方の伯父の下ロートリンゲン公ゴットフリート4世 (下ロートリンゲン公)|ゴドフロワ4世の跡継ぎとされた。1076年にゴドフロワ4世は亡くなったが、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ4世は、当初ゴドフロワ・ド・ブイヨンの相続を認めなかった。叙任権闘争の過程で、ゴドフロワは皇帝の側に立って戦ったり、1081年から1084年のイタリア政策|イタリア遠征に参加したこともあり、1087年になってようやく承認され、ロレーヌ公|下ロートリンゲン公に授封された。1096年に第1回十字軍の勧誘に応じ、兄のウスタシュ3世 (ブローニュ伯)|ウスタシュ3世・ド・ブローニュ、弟のボードゥアン1世 (エルサレム王)|ボードゥアン・ド・ブローニュと共に参加した。アンティオキア攻囲戦|アンティオキア攻略後にボエモン1世 (アンティオキア公)|ボエモンが現地に残留した後は、トゥールーズ伯レーモン4世 (トゥールーズ伯)|レーモンと共に1099年にエルサレム攻囲戦 (1099年)|エルサレムの攻略に成功する。レーモンがトリポリ (レバノン)|トリポリを得ることを望んだため、ゴドフロワが王に選出されたが、イエス・キリスト|キリストが命を落とした場所の王と呼ばれることを嫌い、聖墓守護者を名乗った。同年、エルサレム奪回にやってきたエジプトのファーティマ朝軍をアシュケロン|アスカロンで破ったが(アスカロンの戦い)、レーモンとの仲違いのためアスカロンを奪取することはできなかった。また、エルサレム総大司教となったダゴベルトは、エルサレムを教皇領とすることを望んでおり対立した。結局、ゴドフロワがエジプトを奪って王国を作った後にエルサレムを教皇領とすることで話はついたが、エジプト侵攻を計画中の1100年12月に亡くなった。弟でエデッサ伯国|エデッサ伯になっていたボードゥアンが跡を継ぎ、エルサレム国王一覧|エルサレム王を名乗った。ゴドフロワは死後に英雄化され、十字軍の最高指導者、最も優れた戦士として武勲詩の主人公となり吟遊詩人ら

過去の推移