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ゲオルク5世

推定知名度1.07%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

ゲオルク5世(Georg V. ゲオルク・フリードリヒ・アレクサンダー・カール・エルンスト・アウグスト(Georg Friedrich Alexander Karl Ernst August),1819年3月27日 - 1878年6月12日)は、最後のハノーファー王国|ハノーファーハノーファー君主一覧|王(在位:1851年 - 1866年)。イギリス君主一覧|イギリス王ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世(ハノーファー王ゲオルク3世)の孫であり、イギリス王族としてカンバーランド公の爵位も継承している。英語名はジョージ(George)。ハノーファー王兼カンバーランド公エルンスト・アウグスト (ハノーファー王)|エルンスト・アウグスト(アーネスト・オーガスタス)とメクレンブルク=シュトレーリッツ大公女フリーデリケ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ|フリーデリケの長男である。幼少期に病気や事故が重なり、視力を失った。1866年に起こった普墺戦争で、ハノーファー王国はオーストリア帝国|オーストリア側に就いた。ハノーファーはプロイセン王国|プロイセン軍に占領され、1866年6月29日にハノーファー軍は降伏した。王と家族はオーストリアへ逃れた。プロイセン政府は9月にハノーファーを正式に併合したが、ゲオルク5世は権利を放棄せず、併合も認めなかった。亡命地であるオーストリアのグムンデンからヨーロッパの列強にハノーファー問題への介入を要請したが叶わなかった。なお、1869年にドイツ=ハノーファー党が、この併合に対する抗議のため結成された。ゲオルク5世は1878年に死去すると、ウィンザー城のチャペルに埋葬された。ゲオルク5世は1843年に、ザクセン=アルテンブルク公ヨーゼフ (ザクセン=アルテンブルク公)|ヨーゼフの長女マリー・フォン・ザクセン=アルテンブルク (1818-1907)|マリーと結婚した。2人は王太子エルンスト・アウグスト (ハノーファー王太子)|エルンスト・アウグストの他、2女をもうけた。

過去の推移