クレマンス・ド・オングリーの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

クレマンス・ド・オングリー

推定知名度0.75%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

クレマンス・ド・オングリー(Clémence de Hongrie, 1293年 - 1328年10月12日)は、フランス王国|フランス王ルイ10世 (フランス王)|ルイ10世の2度目の王妃。クレマンス・ダンジュー(Clémence d'Anjou)とも呼ばれる。ハンガリー王国|ハンガリーの王位請求者カルロ・マルテッロ・ダンジョ(ナポリ王国|ナポリ王カルロ2世 (ナポリ王)|カルロ2世の長子)と妃クレメンティーネ(神聖ローマ皇帝ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ルドルフ1世の娘)の娘として生まれた。兄はハンガリー王カーロイ1世。ルイ10世の従弟でヴァロワ朝初代の王となるフィリップ6世 (フランス王)|フィリップ6世は母マルグリット・ダンジューがカルロ・マルテッロの妹であり、クレマンスにとってもフィリップ6世は従兄弟となる。1315年、不貞を犯して幽閉されていた最初の王妃マルグリット・ド・ブルゴーニュ (フランス王妃)|マルグリット・ド・ブルゴーニュが獄死したため(ルイの再婚を可能とするため暗殺されたとも言われている)、同年8月にクレマンスと結婚した。1316年6月、妊娠中のクレマンスを残してルイは急死した。王弟フィリップが摂政となり、出生に疑惑をもたれる幼い王女フアナ2世 (ナバラ女王)|ジャンヌの即位を阻止し、クレマンスの男児出生を待った。同年11月、出生と同時に嬰児がジャン1世 (フランス王)|ジャン1世となったが、わずか4日間しか生きられなかった。そのため、摂政であった王弟がフィリップ5世 (フランス王)|フィリップ5世として即位した。クレマンスは宮廷を去ってアヴィニョンへ向かった。1318年には、エクス=アン=プロヴァンスのドミニコ会修道院へ隠遁した。数年後にパリへ戻ったが、1328年に35歳で亡くなった。

過去の推移