畺良耶舎(きょうりょうやしゃ、Kālayaśas कालयशस्、意訳:時称 382年 - 443年)は、西域出身の訳経僧である。 阿毘曇・律に通じ、禅観(止観)を専らとした。三蔵と呼ばれ、いくつかの経典を翻訳している。 元嘉の初めに、劉宋の建康に入って、鐘山の道林精舎で僧含に請われて『観薬王薬上二菩薩経』『仏説観無量寿経』などを訳した。443年(元嘉19年)四川方面に伝道の中途で、江陵にて没す。享年60。
畺良耶舎(きょうりょうやしゃ、Kālayaśas कालयशस्、意訳:時称 382年 - 443年)は、西域出身の訳経僧である。 阿毘曇・律に通じ、禅観(止観)を専らとした。三蔵と呼ばれ、いくつかの経典を翻訳している。 元嘉の初めに、劉宋の建康に入って、鐘山の道林精舎で僧含に請われて『観薬王薬上二菩薩経』『仏説観無量寿経』などを訳した。443年(元嘉19年)四川方面に伝道の中途......