エリザベッタ・ファルネーゼの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

エリザベッタ・ファルネーゼ

推定知名度0.67%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

エリザベッタ・ファルネーゼ (Elisabetta Farnese, 1692年10月22日 - 1766年7月11日)は、スペイン王フェリペ5世 (スペイン王)|フェリペ5世の2度目の王妃。パルマ公国|パルマ公ラヌッチョ2世・ファルネーゼ|ラヌッチョ2世の長男オドアルド2世・ファルネーゼ|オドアルド2世と、プファルツ選帝侯フィリップ・ヴィルヘルム (プファルツ選帝侯)|フィリップ・ヴィルヘルムの娘ドロテア・ゾフィア・フォン・プファルツ=ノイブルク|ドロテア・ソフィアの長女。スペイン名イサベル・デ・ファルネシオ(Isabel de Farnesio)。イサベラ・ファルネーゼとも呼ばれる。21歳で結婚。彼女をフェリペ5世の後添えに推薦したのは、王宮を取り仕切る老嬢ウルシノス夫人、そして政治面での王のアドバイザー、ジュリオ・アルベローニ枢機卿だった。パルマでの代理結婚ののち、スペインに到着すると、王の意志決定を左右するウルシノス夫人を追放し、エリザベッタは瞬く間に意志の弱い王を完全に影響下に置いた。政治ではアルベローニと理念を同じくした。すなわち、古来からのイタリア領、サルデーニャとナポリ・シチリアをスペインの支配に置くことである。王には既に先妻マリア・ルイーザ・ディ・サヴォイアとの間の王子たち、ルイス1世 (スペイン王)|ルイスとフェルナンド6世 (スペイン王)|フェルナンドがいたため、自分がこれから生む子供たちにスペイン王位と同等のイタリア君主の称号と領地を与えるのがエリザベッタの目標となった。彼女は精力旺盛に政治に介入、フランス軍がピレネー山脈を越えてきた際、彼女は自身でスペイン陸軍の一師団を指揮した(四カ国同盟戦争)。この戦争はスペインを列強に包囲され敗北、1720年にアルベローニ枢機卿の追放を余儀なくされ、シチリアから撤退しなければならなくなった。そして、彼女が思いとどまるよう説得をしてきたにもかかわらず、1724年にフェリペが突然長男ルイスに譲位して、自らはラ・グランハ宮殿に引きこもってしまった。ルイス1世は在位7ヶ月で天然痘で死去したが、弟のフェルナンド王子がまだ幼少のため、フェリペが復位した。この時、既にフェリペは廃人同様で、エリザベッタがスペインの政治の主導を握った。叔父のパルマ公アントニオ・ファルネーゼ|アントーニオが死ぬと、嫡男がなかったため、彼女の長男カルロス3世 (スペイン王)|カルロスがパ

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