エミリア・ファン・ナッサウの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

エミリア・ファン・ナッサウ

推定知名度0.39%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

エミリア・ファン・ナッサウ(Emilia van Nassau, 1569年4月10日 - 1629年3月16日)は、オランダ総督・ウィレム1世 (オラニエ公)|オラニエ公ウィレム1世と2度目の妃アンナ・ファン・サクセンの末娘。ケルンで生まれた。母アンナの不貞が明るみに出ると、姉アンナや兄マウリッツ (オラニエ公)|マウリッツらとともに母から引き離され、父方の叔父ヨハン6世 (ナッサウ=ディレンブルク伯)|ナッサウ=ディレンブルク伯ヨハンにディレンブルク(現在のドイツ・ヘッセン州)で養育された。のち、デルフトで父と暮らしたり、姉アンナとフリースラント州|フリースラントに住んだ。父の死後、兄マウリッツが総督を務める宮廷でエミリアは女主人となった。そこで、フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世に敗れたポルトガル王国|ポルトガル王位請求者アントニオ・デ・ポルトゥガル|ドン・アントニオの庶子マヌエル・デ・ポルトゥガル (1568-1638)|ドン・マヌエルと出会った。彼女は1597年にマヌエルと秘密裡に結婚し、カトリック教会|カトリックに改宗した。マウリッツは妹の結婚に強固に反対し、妹を10年間宮廷から追放した。2人が和解したのは、マウリッツが死の床についてからであった。エミリアはマヌエルとの間に10子をもうけた。2人は、エミリアがプロテスタントに回帰したため、のちに別居した。エミリアはジュネーヴで死んだ。

過去の推移