画像引用元: upload.wikimedia.orgウランタイ
推定知名度0.17%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
ウランタイ(烏蘭泰、ᡠᠯᠠᠨᠲᠠᡞ 転写:Ulantai、? - 1852年)は、清の軍人。字は遠芳。満州正紅旗人。ジャハーンギール・ホージャの蜂起の鎮圧に新疆に赴き、功績をあげた。火器のエキスパートとして知られ、1847年に広東副都統に就任した。1851年、広西省で太平天国の乱が拡大すると、ウランタイは出陣を命じられ、緑営の精鋭500人を率いて広西省に赴き、欽差大臣サイシャンガ(賽尚阿)の指揮下に入った。しかし清軍の内部ではウランタイと広西提督向栄の関係が悪く、連携がとれない状態であった。そのため向栄・秦定三・ウランタイが武宣に太平天国軍を包囲していたが、象州を奪われてしまった。ウランタイは象州中坪に拠っていた太平天国軍を攻撃し、千人余りを殺害した。秋に太平天国軍が桂平新墟に拠ると、ウランタイは四方から攻撃して莫村で1日に7勝を収め、数千人を斬った。やがて太平天国軍が永安を陥落させると、向栄が北路を、ウランタイは南路をとった。しかし両者の意見が合わず、戦闘は長引いた。1852年2月、太平天国軍は永安を捨てて桂林に向かった。ウランタイは追撃したが、険しい道と雨のために総兵4人が戦死するという大損害を出した。追撃を続けていたウランタイは桂林城外の将軍橋で被弾し、20日後に死亡した。Category:清代の人物Category:満州民族Category:1852年没
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