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イタロ・ズヴェーヴォ

推定知名度2.84%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

イタロ・ズヴェーヴォ(Italo Svevo 1861年12月19日 - 1928年9月13日)はイタリアの作家。本名はアーロン・エットーレ・シュミッツ(Aron Ettore Schmitz; ドイツ語名アーロン・ヘクトル・シュミッツ Aron Hector Schmitz)として、当時オーストリア=ハンガリー領だったトリエステのユダヤ人の家庭に生まれる。ビジネスマン生活の傍ら長篇小説や戯曲や短篇を執筆。イタロ・ズヴェーヴォという筆名は「イタリアのシュヴァーベン人」という意味。イタリア人女性リーヴィア・ヴェネツィアーニと結婚してからカトリック教会|カトリックに改宗。1923年、長篇小説『ゼーノの意識』を自費出版。この作品は、ジークムント・フロイト|フロイトから影響を受けつつ、ゼーノ・コジーニという男が精神分析医の勧めで記した回想録という形式を取っている。今日では古典と位置づけられている作品だが、出版当時はイタリアの読書界からほとんど黙殺された。のちに、この作品はジェイムズ・ジョイスの尽力で正当な評価を受けるに至った。ジョイスは1907年、トリエステのベルリッツで働いていた時に、英語の個人教師としてズヴェーヴォと会った。このとき、ジョイスはズヴェーヴォの初期作品『セニリータ』(Senilità - 邦題は『トリエステの謝肉祭』/ 1898年に上梓したが、やはり当時は黙殺された小説)を読んでいる。ジョイスは『ゼーノの意識』を激賞し、フランス語への翻訳を助けた上、パリで出版を手配した。『ゼーノの意識』はフランスの批評家たちから高く評価された。このためにエウジェニオ・モンターレなどイタリアの批評家たちもズヴェーヴォへの評価を改めた。ゼーノ・コジーニはフロイトの思想に傾倒するビジネスマンで、ズヴェーヴォ自身の姿が投影されている。ズヴェーヴォは第一次世界大戦が終わるまでオーストリア=ハンガリー帝国の市民だった。イタリア語は彼にとって第二言語であり、このため、彼がイタリア語で書いた小説は、批評家からは悪文と言われることもあった。ただし、別の批評家たちによれば、彼の独特のイタリア語は悪文というよりはむしろ公式なトスカーナ方言のトリエステ訛りと呼ぶべきものである。『ゼーノの意識』はトリエステという狭い地域に舞台を限定した作品であり、その意味で、アイルランド時代の最後の数年間をダブリンに閉じこもって暮らしたジョイスとよく似ている。

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