イサベル・クララ・エウヘニアの画像画像引用元: antiquesanastasia.com

イサベル・クララ・エウヘニア

推定知名度0.92%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

イサベル・クララ・エウヘニア・デ・アウストリア(Isabel Clara Eugenia de Austria, 1566年8月12日 - 1633年12月1日)は、オーストリア大公アルブレヒト・フォン・エスターライヒ (1559-1621)|アルブレヒト(ルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝)|ルドルフ2世の弟)の妃。スペイン王フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世と、3度目の王妃エリザベート・ド・ヴァロワの娘として、セゴビアで誕生した。父フェリペは息子の誕生より嬉しいと歓喜したと伝えられている(この時、フェリペには最初の王妃ポルトガル王国|ポルトガル王女マリアの生んだ長男カルロス (アストゥリアス公)|カルロスがいた。しかし、2人は不幸な断絶状態にあった)。イサベルの母エリザベートは、最初はカルロスの婚約者だった。政治的な理由から、フェリペが彼女を後添えに望んだのだった。このような政略結婚でも、フェリペはエリザベートを大事にし、彼女が天然痘を患ったときにもそばにいようとしたという。エリザベートは1564年の最初の妊娠で双子の女児を流産した。次に生んだのがイサベルで、その1年後にはカタリーナ・ミカエラ・デ・アウストリア|カタリーナ・ミカエラを生んだ。1568年10月にエリザベートは男児を流産し、そのまま帰らぬ人となった。イサベルは妹カタリーナとともに、父と継母アナ・デ・アウストリア|アナに可愛がられて育った。フェリペは冷徹で愛情薄い男性だったと多くの伝記に描かれているが、彼が娘たちにあてた手紙には「お前の善良な父より」と愛情込めて署名されており、エリザベートの生んだ王女たちを愛していたことが伺える。1568年、2歳のイサベルはルドルフ2世と婚約した。ルドルフの母親マリア・デ・アブスブルゴ|マリアは父フェリペの妹であるため、2人は従兄妹同士だった。しかし結婚に対して興味のない奇人ルドルフにより、イサベルは20年以上待たされることになった。イサベルは、父フェリペのそばで補佐することを許されており、イタリア語で書かれた書類をスペイン語に翻訳していた。彼女は父の亡くなる1598年まで、そうやって父のそばで仕えていた。1599年、30歳を過ぎたイサベルは、従兄にあたるアルブレヒトと結婚した。彼はトレド大司教であったため、教皇|ローマ教皇クレメンス8世 (ローマ教皇)|クレメンス8世に還俗の許可を得てからの結婚となった。その

過去の推移