画像引用元: upload.wikimedia.orgアンヌ・ド・リュジニャン
アンヌ・ド・リュジニャン(Anne de Lusignan, 1418年9月24日 ニコシア - 1462年11月11日 ジュネーヴ)は、キプロス王国の王女で、サヴォイア公国|サヴォイア公ルドヴィーコ・ディ・サヴォイア|ルドヴィーコの妻。イタリア語名はアンナ・ディ・チプロ(Anna di Cipro)。キプロス王ジャニュ (キプロス王)|ジャニュとその妻でラ・マルシュ伯ジャン1世 (ラ・マルシュ伯)|ジャン1世の娘であるシャルロット・ド・ブルボン (1388-1422)|シャルロット・ド・ブルボンの間の長女として生まれた。1432年1月1日にサヴォイア公フェリクス5世 (対立教皇)|アメデーオ8世の長男ルドヴィーコと婚約、1434年2月12日にシャンベリにおいて結婚した。夫は1440年に公爵家の家督を継いだ。公爵夫妻は非常に仲が良く、間には19人もの子女が生まれ、うち14人が成育している。夫のルドヴィーコは公爵領の統治よりも詩作を好む文人肌の人で、国事を徐々に妻に任せるようになっていった。アンヌは故郷を懐かしみ、キプロス島の大領主たちを招いて謁見するのを好んだ。アンヌは招待客たちを楽しませるために城を飾り立て、祝宴を催し、豪華な贈物を用意した。こうした贅沢は、特にヴォー州|ヴォー地方の領主層や農民たちの反発を買った。アンヌはフランス王国|フランス王家に対する負債を減らすため、三女シャルロット・ド・サヴォワ|カルロッタを1451年にフランス王太子ルイ(後のルイ11世 (フランス王)|ルイ11世王)に嫁がせた。もっとも、ルイ11世は後に花嫁持参金の滞納を理由に、サヴォイア家領のブレス (フランス)|ブレスの幾つかの城、ヴォー州の数都市を占拠した。1452年、アンヌはの所有権と引き換えに、ジャンヌ・ド・シャルニー(Jeanne de Charny)から聖骸布を買い取った。
