アンヌ・アントワネット・ド・ブルボン=パルムの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

アンヌ・アントワネット・ド・ブルボン=パルム

推定知名度0.59%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

アンヌ・アントワネット・ド・ブルボン=パルム(Anne Antoinette Françoise Charlotte de Bourbon-Parme, 1923年9月8日 - 2016年8月1日)は、ルーマニアの元国王ミハイ1世の妻。王制廃止後に結婚したが、慣習的には王妃の称号で呼ばれている(ルーマニア語名:アナ・デ・ロムニエイ、Regina Ana a României)。父はパルマ公子ルネ(パルマ公ロベルト1世の息子)、母はデンマーク王家出身のマルグレーテ(クリスチャン9世の三男ヴァルデマー王子の娘)。ブルガリア王ボリス3世、ハプスブルク家前当主オットー・フォン・ハプスブルク、ルクセンブルク大公ジャンらは父方の従兄にあたる。彼女が生まれる以前にパルマ公国はサルデーニャ王国に併合され(間もなくイタリア王国が成立)、祖父らは国外へ亡命を余儀なくされた。ロベルト1世の大勢の息子の一人に過ぎない父には資産も少なく、フランスで不自由な生活を強いられていたという。フランスへナチス・ドイツが侵攻した1939年、一家はスペインへ脱出、ポルトガルを経由してアメリカ合衆国へ定住した。アンヌはニューヨークで教育を受け、百貨店メイシーズで売り子として働いた。1943年、フランス軍でボランティアを務めた。1947年11月、イギリス王女エリザベス(現在のエリザベス2世)とフィリップ・マウントバッテン(クリスチャン9世の曾孫)の結婚式に出席した際、同じく出席者であったミハイと出会う。2人は恋愛関係になり間もなく婚約するが、同年12月30日にミハイは退位を余儀なくされた。1948年6月10日、ギリシャ王パウロスの好意により、アテネでミハイと結婚した。アンヌはカトリック、ミハイはルーマニア正教会に属していたため、結婚式は宗派によらないやり方となった。このため、長らくバチカンは2人の結婚を正式なものと認めてこなかったが、のちに教書を出して正式と認めた。2人はフィレンツェ郊外に新居をかまえるが、スイス、イギリスと住まいを変えた末、1955年よりジュネーヴ近郊に落ち着いた。5女に恵まれた。1992年、共産主義政権崩壊後に、ミハイとともに3日間だけのルーマニア訪問をした。ルーマニアへ入国したのはこれが初めてであった。1997年より、ルーマニアへ永住することが認められ、一年のうちスイスとルーマニアで半分ずつ過ごしている。また、女子の王位継承権をホーエ

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