画像引用元: upload.wikimedia.orgアルデグンデス・デ・ブラガンサ
アルデグンデス・デ・ブラガンサ(Aldegundes de Bragança, Duquesa de Guimarães, 1858年11月10日 - 1946年4月15日)は、ポルトガル王国|ポルトガルの廃王ミゲル1世 (ポルトガル王)|ミゲル1世とその妻のレーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク侯女アーデルハイト・フォン・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク|アーデルハイトの間の四女。ブルボン=パルマ家の公子であるバルディ伯エンリコ・カルロ・ディ・ボルボーネ=パルマ|エンリコの妻となった。全名はアルデグンデス・デ・ジェズス・マリア・フランシスカ・デ・アシス・イ・デ・パウラ・アデライデ・エウラリア・レオポルディナ・カロリナ・ミカエラ・ハファエラ・ガブリエラ・ゴンザーガ・イネス・イザベル・アヴェリナ・アナ・エスタニスラウ・ソフィア・ベルナルディナ・デ・ブラガンサ(Aldegundes de Jesus Maria Francisca de Assis e de Paula Adelaide Eulália Leopoldina Carolina Micaela Rafaela Gabriela Gonzaga Inês Isabel Avelina Ana Estanislau Sofia Bernardina de Bragança)。亡命者の身の上だったミゲル1世の6人の娘の一人として、ドイツのヴェルトハイム近郊の村ブロンバッハで生まれた。アルデグンデスは1876年10月15日、オーストリアのザルツブルクでパルマ公カルロ3世 (パルマ公)|カルロ3世の次男であるバルディ伯爵エンリコ・カルロ・ディ・ボルボーネ=パルマ|エンリコと結婚した。エンリコは最初の妻であった両シチリア王女マリーア・ルイーザ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ|マリーア・ルイーザを結婚後わずか3カ月で亡くしており、アルデグンデスとの結婚は再婚だった。アルデグンデスは9度妊娠したが全て流産に終り、バルディ伯爵夫妻は子供がいないことを深く悲しんでいたという。1920年、アルデグンデスの兄のミゲル2世・デ・ブラガンサ|ミゲルがミゲリスタ派のポルトガル王位請求者の地位を退いたため、その末息子ドゥアルテ・ヌノ・デ・ブラガンサ|ドゥアルテ・ヌノがわずか12歳で「ミゲリスタの王」となった。このときアルデグンデスは甥ドゥアルテ・
