養鸕 徹定(うがい てつじょう、文化11年3月15日(1814年5月4日) - 明治24年(1891年)3月15日)は、幕末・明治期の浄土宗僧侶・仏教史家。筑後国久留米にて久留米藩士鵜飼万五郎政善・久保氏の次男に生まれる。6歳で地元の西岸寺に入り、後に京都や江戸で修行する。21歳の時に増上寺にて宗脈を受ける。後に増上寺学寮を掌った。文久元年(1861年)に浄国寺住職となる。文久3年(1863年)自身の羅漢研究を纏めた『羅漢図讃集』を刊行する。これは今日から見ても高い学術的価値を持つ著作であり、徹定の優れた学識が窺える。また徹定は羅漢の知識を狩野一信に教え、......
養鸕 徹定(うがい てつじょう、文化11年3月15日(1814年5月4日) - 明治24年(1891年)3月15日)は、幕末・明治期の浄土宗僧侶・仏教史家。筑後国久留米にて久留米藩士鵜飼万五郎政善・久保氏の次男に生まれる。6歳で地元の西岸寺に入り、後に京都や江戸で修行する。21歳の時に増上寺にて宗脈を受ける。後に増上寺学寮を掌った。文久元年(1861年)に浄国寺住職となる。文久3......