鷹司 并子(たかつかさ すねこ、寛政10年12月17日 (旧暦)|12月17日(1799年1月22日) - 天保8年10月10日 (旧暦)|10月10日(1837年11月7日))は、阿波国|阿波徳島藩12代藩主・蜂須賀斉昌の正室。初名は李(すえ)。院号は善性院。父は関白・鷹司政煕。13代藩主蜂須賀斉裕の正室・鷹司標子は姪に当たる。
鷹司 并子(たかつかさ すねこ、寛政10年12月17日 (旧暦)|12月17日(1799年1月22日) - 天保8年10月10日 (旧暦)|10月10日(1837年11月7日))は、阿波国|阿波徳島藩12代藩主・蜂須賀斉昌の正室。初名は李(すえ)。院号は善性院。父は関白・鷹司政煕。13代藩主蜂須賀斉裕の正室・鷹司標子は姪に当たる。