那須 資重(なす すけしげ、生没年不詳)は室町時代の人物。下野の那須氏の一族。沢村氏、のち下那須氏当主。那須資氏の子。那須資之の弟。妻は佐竹義盛の娘。那須資持の父。次郎、沢村五郎。沢村城、のち烏山城城主。初め沢村氏を継承したが、応永年間に当主である兄の資之に疎まれ攻撃を受け沢村城を退去、稲積城に移った後、応永25年(1418年)、烏山城を築きそこを居城とした。上杉禅秀の乱の際は兄の資之が上杉禅秀に味方する一方で、鎌倉公方足利持氏に味方し、持氏の勝利後はその後ろ盾を得て結果的に那須氏の分裂を恒常的なものにした。地元では資之が資重の器量が優れていたことに嫉妬し......
那須 資重(なす すけしげ、生没年不詳)は室町時代の人物。下野の那須氏の一族。沢村氏、のち下那須氏当主。那須資氏の子。那須資之の弟。妻は佐竹義盛の娘。那須資持の父。次郎、沢村五郎。沢村城、のち烏山城城主。初め沢村氏を継承したが、応永年間に当主である兄の資之に疎まれ攻撃を受け沢村城を退去、稲積城に移った後、応永25年(1418年)、烏山城を築きそこを居城とした。上杉禅秀の乱の際は兄......