藤原 光隆(ふじわら の みつたか、大治2年(1127年) - 建仁元年8月1日(1201年8月30日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。藤原北家利基流、権中納言・藤原清隆の長男。官位は正二位・権中納言。壬生を号す。『平家物語』巻八「猫間」においては、寿永2年(1183年)に後白河院の使いとして源義仲を訪問した光隆が、義仲によって愚弄される逸話が紹介されている。
藤原 光隆(ふじわら の みつたか、大治2年(1127年) - 建仁元年8月1日(1201年8月30日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。藤原北家利基流、権中納言・藤原清隆の長男。官位は正二位・権中納言。壬生を号す。『平家物語』巻八「猫間」においては、寿永2年(1183年)に後白河院の使いとして源義仲を訪問した光隆が、義仲によって愚弄される逸話が紹介されている。