糟屋 有長(かすや ありなが)は鎌倉時代前期の武将。糟屋有季の三男。乙石左衛門とも。承久の乱で兄弟の有久・久季と共に後鳥羽上皇方として鎌倉幕府軍と戦った。承久3年(1221年)6月8日、北陸道から上洛してきた北条朝時・結城朝広率いる幕府軍と越中国で対峙し、在地武士の林・石黒以下を率いて戦ったが、討ち取られた(『吾妻鏡』)。
糟屋 有長(かすや ありなが)は鎌倉時代前期の武将。糟屋有季の三男。乙石左衛門とも。承久の乱で兄弟の有久・久季と共に後鳥羽上皇方として鎌倉幕府軍と戦った。承久3年(1221年)6月8日、北陸道から上洛してきた北条朝時・結城朝広率いる幕府軍と越中国で対峙し、在地武士の林・石黒以下を率いて戦ったが、討ち取られた(『吾妻鏡』)。