矢口謙斎(やぐち けんさい、文化14年(1817年) - 明治12年(1879年)6月)は幕末の幕臣。名は正浩。通称は清三郎、後に浩一郎。本庄藩森田家に生まれ、幕臣矢口家の養子となった後、江戸昌平黌、甲府徽典館、長崎奉行等に勤めた。幕府滅亡後箱館に向かうも参戦の機会を逃し、官軍に投降して竹田に移送された。晩年は静岡県下足洗村に私塾を営んだ。
矢口謙斎(やぐち けんさい、文化14年(1817年) - 明治12年(1879年)6月)は幕末の幕臣。名は正浩。通称は清三郎、後に浩一郎。本庄藩森田家に生まれ、幕臣矢口家の養子となった後、江戸昌平黌、甲府徽典館、長崎奉行等に勤めた。幕府滅亡後箱館に向かうも参戦の機会を逃し、官軍に投降して竹田に移送された。晩年は静岡県下足洗村に私塾を営んだ。