畠山 政久(はたけやま まさひさ、生年不詳 - 長禄3年(1459年)9月)は、室町時代後期の人物。本姓は源氏。畠山持富の長男。弟に政長。従兄に義就。通称は弥三郎。別名、義富(よしとみ)。実名に関しては諸説あるため、畠山 弥三郎(はたけやま やさぶろう)の名で呼ばれることが多い。父・持富は、伯父の畠山持国に嫡子がいなかったため持国の後継者になっていたが、文安5年(1448年)に跡目を義就に変更、宝徳4年(1452年)に死去した。これに一部の家臣団が反発、享徳3年(1454年)4月に政久擁立の陰謀が発覚して持国に排斥されたが、政久は細川勝元に匿われ8月に反撃......
畠山 政久(はたけやま まさひさ、生年不詳 - 長禄3年(1459年)9月)は、室町時代後期の人物。本姓は源氏。畠山持富の長男。弟に政長。従兄に義就。通称は弥三郎。別名、義富(よしとみ)。実名に関しては諸説あるため、畠山 弥三郎(はたけやま やさぶろう)の名で呼ばれることが多い。父・持富は、伯父の畠山持国に嫡子がいなかったため持国の後継者になっていたが、文安5年(1448年)に跡......